生業景観の和束茶
どのようにして、この景観が生まれたのでしょうか?
【目次】
どのようにして、この景観が生まれたのか。
昔の和束町
機械刈りが始まる前は、上のような写真ではなくこのような茶園でした。
昔はこのような道具を使っていました。
これはチャカリバサミという道具です。これに袋をつけて摘採していたので、茶園が長いと袋を変えるのに歩く手間がかかるので、こぶし型の茶園が点々としていました。
現在の和束町
時代が変わり昭和46年に二人でエンジンが付いた機械で摘採するようになりました。
機械の袋に入り口にバリカンがついていて、刈り取った葉を青いパイプから風を送り袋に貯めて一気に摘採できるようになりました。
この機械の登場で作業効率が一気に上がり長い茶園が生成されました。
静岡や鹿児島の摘採
静岡や鹿児島のような台地が広がる生産地では、もっと機械は進化してこんなものが利用されています。
このような機械に乗って作業しています。
和束は山なりに栽培されているので、このような機械で摘採するのは危険なので普及しておりません。
農家さんによると静岡や鹿児島にお茶の研修に行って二人刈りをしてることを話すと馬鹿にされたと笑い話をしておられました(笑)
おわりに
この景観は観光のために生まれたのはなく、生業の副産物として生まれ、一枚の写真をきっかけに写真家のあいだで広まり、現在の観光の形になりました。
農家さんは、自分の生活(親のお世話、子のお世話などなど)のためにお茶を生産しています。
これからの季節、ウォーキングに出かける方が多いと思います。
お越しの際は、道の片側に2列で歩く、茶畑の中に入らない(茶畑は私有地です。)
また、特にサイクリングの方で危険なのが、山を越える道を猛スピードで走ることです。道幅がせまく、軽トラックとの接触事故になりかねません。お互いの身を守るために安全運転をしましょう!
以上2点は必ず守っていただくようよろしくお願いします。