和束との出会い。
今年もワヅカナジカンの募集・説明会が始まろうとしています。
※【ワヅカナジカンと出会ったら】一次産業×ひとでおもろいまちに(京都和束町×山口阿武町)
自分の人生を振り返りながら”ワヅカナジカンって何なん?”っていうのをご紹介します~
ワヅカナジカンを簡単に説明すると、”5~7月の3か月間プロジェクトの参加者と集団生活をしながら、各々が割り当てられた茶農家さんのもとへ行き、農作業をして収入を得る”という援農プロジェクトです。
(写真は参加者の誕生会)
お前だれやねん?
自己紹介が遅れました。
名前:増田 耀平(ますだ ようへい)
年齢:26さい
仕事:地域おこし協力隊
です。
ワヅカナジカン3期生(2年前)として参加してました。
和束に来る前は、1か月(1月半ば~2月半ば)自宅警備員として勤務しておりました。
言いかえるとニートです。
ニートってすばらしいんですよ。1日の限られた時間を有意義に使うことができます。
(ただ、ものすごい勢いで貯金が無くなります)
和束と出会うまで
この前の期間は、2015年の3月に大学卒業後、就職浪人をして9月から新入社員として建材会社の商社に勤めました。
が、プライベートで心が病んで1月にやめました。(4か月しか務めてない)
うちのオカンはこれで文句言わんのがホンマすごいと思うわ。普通やったら罵詈雑言あびせるやろなー。
そして、きっかけとなる出来ごとが起こります。
すっかり意気消沈していた私。
大学の同期とおなじような働き方はできないんだろうと考えていました。
(外まわりの営業や事務職などなど)
そんなときテレビで過疎地が若者をよびこむために、家賃補助や新規就農支援、引越し先でのアフターフォローが充実しているというのを知りました。
これを知った私はすぐに似たようなものを探し始めました。
就職活動をしてるときにお世話になったハローライフへ行きました。
ここでワヅカナジカンと出会いました。
説明会はすでに終わってるとのことだったので、このプロジェクトの発起人である山下丈太さんのもとへ行きました。
ワヅカナジカンが和束と掛かってるの知らんまま行って、『和束』これなんて読むん?って思いながらバイクで行ったw
2月やったからめっちゃ寒かった(´・ω・`)
和束茶カフェに行ったらいいでとのことだったので、和束茶カフェへ。
ますだが行くっていう連絡がなんかの手違いでいってなかったようですが、快くお話を聞かせてくれました。
そんで、すぐに面接みたいなんが始まっていろいろ話しました。ウソをつくのはイヤだったから、ここに来た理由・きっかけを全部素直に話しました。(かたっくるしいものではないです。)
そしたら5月から参加できることになりました。
集団生活・農業生活の始まり
4/30に参加者が集合して自己紹介やお好み焼き屋さんで飲み会をしました。
初対面の人ばかりでぎこちない空気感でちょっと息苦しかったw(自分はめっちゃ人見知り)
そして、次の日は各々の農家さんと顔合わせ。この日はこれだけで終わったと思います。
この日以降は、自転車で通う人や原付で通う人、迎えに来てもらう人、いろんな人がいました。
農業生活の始まり
私は原付を貸してもらい農家さんの家にいき、畑へいくという流れでした。
はじめていく茶畑はめちゃくちゃ暑かったのを覚えています。
(この年は例年より暑かったみたいです。)
そして、教えられたように作業しているつもりでもよく注意されていました。関西圏以外の人だと言葉が怖く感じられるかもしませんが、そういうもんやねんなーぐらいに思っておくといいと思います。
もちろん、同じミスは繰り返したらあかんけど。
茶畑でのおおまかな流れは、テックス被せる→テックスはずす→茶刈り→芽運び→工場持っていく→肥料やり、すそ刈り、刈りなおしなど
詳しく知りたい人はこれ見てください。
1番茶がおわり、軽トラを運転させてもらえるようになり肥料やり、すそ刈りを一人で任せてもらえるようになりました。
(運営側からは参加者に運転させないように農家さんに指示しています。運転できない人は心配しなくても大丈夫です。)
一人で作業できるっていうのは、私にとって精神的に楽なことでした。
だってやりたいようにできるんだもの。
雨の日以外は基本的に休みがない仕事なので、任された仕事を一気に終わらせて一人だけ早く帰ってました。
「休憩せいよ」ってよく言われてたけど、やらなアカンことは早く終わらせたい人だから作業ぶっ通しでやったこともあった。一回暑さでぶっ倒れそうになってから休憩するようになったけどw
大まかな説明ですがこんな感じで農作業には取り組んでました。
集団生活のはじまり
突然ですが、みなさんは集団生活っていうものに対してどういう風に思ってますか?
私は中学生のころから『大』がつくほど嫌いでした。
みんなと同じように行動しないといけないし、誰かが乱すと『連帯責任』とか言われたり。なんで「お前のせいで怒られなあかんねん」ということが多々ありました。ありましたよね?ね?
こんな感情をいだいたまま参加したわけですが、私が参加したときのメンバーの1人1人の個性が強く、今思い返せばよくこんな人たちが同じ環境で暮らし続けたなーと思います。
はじめのころは、宿にプライベートな空間がなかったので、晩ごはんを食べたあとよく外に出かけていました。
もちろん相性の悪い人もいました。
基本的に関わらないようにして回避してました。
でも、自分がみてるその人がその人の全てではないということ学ぶことができました。
(私にとってその人はだらしない人でしたが、知らないところで掃除をしていたからです。)
気がみんながいる場に自分もいるようになっていました。慣れとお互いがお互いのあり方を否定するわけでもなく、干渉するわけでもなかったから結果的に楽しくすごすことができたんだと思います。
今年の募集
今回インタビュアーを受け記事にしてもらいました。↓↓↓
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おわり